🍌 2Dゲームにおける「滑る」の実装
🏷️ Game Design
2年越しで制作していたゲームが、そろそろ完成を迎えようとしています。 開発にあたり、こだわって実装した部分、あえて取捨選択をして「実装しなかった」部分など、多くの知見が集まってきました。今回はそれらを自身の備忘録、そして知見としてまとめていきたいと思います。
その前に:なぜ「言語化」が必要だったのか

プロのゲーム開発者ではない私が、なんとか自分の作りたい作品を完成させる。その過程において、効率の良いゴール設定や、判断基準となる指標・データの入手は不可欠でした。
完成した作品は、プレイヤーにとって心地よいものであってほしい。 「ジャンプやダッシュが自由自在に動かせること」を基本性能とし、そこに新しいアイデアを盛り込んでいきたい。そう願ったからこそ、一つ一つのアクションを見つめ、突き詰めていきたかったのです。
しかし、手元にあるのは無料のゲームエンジンと、そのチュートリアルだけ。プロの現場とは異なり、「何をもって快適とするのか」を判断する指標そのものが、私には分かりませんでした。また、世にある「ゲーム作りのデータ」を調べてみても、マーケティング寄りの話が多く、私が本当に知りたいゲームプレイの核心とは少しズレていたのです。
だからこそ、私はゲーム開発の当初から「言語化」にこだわってきました。 各アクションを細分化し、
- どのようにすれば快適になるのか
- 自分はなぜそのロジックを選択したのか
- その選択が、しっかりとゲームのアクションに適用されているか
これらを言葉にして整理することで、迷わずに開発を進めるための道標にしました。
年齢を重ねてから始めたゲーム作り。自身の体調や周囲の環境を含め、いつまで続けられるかは分かりません。だからこそ、自分が考える最短の方法でスキルアップを試みた――これは、そんな私の開発記録です。
本題:滑るという現象の実装
サイドスクロール(横スクロール)ゲームは、当然ながら画面が横に進み、プレイヤーは一歩引いた第三者の視点でキャラクターを操作します。 プレイ中、危険を感じたり、少し考えたりする瞬間にプレイヤーは操作を止める(キーを離す)わけですが、そのときキャラクターがその場にピタッと止まらずに「滑る」ゲームがあります。正確には「慣性が働き、急には止まれない」という現象です。
サイドスクロールゲームの金字塔である『スーパーマリオブラザーズ』は、まさにこの「滑り」が大きな特徴の一つです。
実は、私はゲーム開発の初期段階では、この仕様を実装していませんでした。むしろ「操作が難しくなるだけ(ストレス要素)ではないか」とすら思っていたのです。 なぜ、マリオのような名作でこの挙動が採用されているのか。私が調べられる範囲では、その明確な答えは見つかりませんでした。
そこで、この仕様の必要性を自分なりに紐解き、自身のゲームに適用すべきかどうかを考えることにしました。複数のゲームを実際にプレイし、数多くのミニゲームを試作し、キャラクター操作の変数を何度もいじり倒した結果、私は「滑る挙動がもたらす4つの理由」にたどり着きました。
1. キャラクターの動きが「自然」になる
現実の物理法則と同じように、動いているものが止まるには制動距離が必要です。ピタッと止まりすぎる不自然さを排除し、アニメーションとしてのリアリティや滑らかさを生み出す効果があります。
一切滑らないキャラクターを見ていると、私は「膝の負担がでかいな……」と不安になります。滑りを導入することは、コントローラーの触り心地を「柔らかく」することにも繋がるのです。
【逆の視点】 ただし、キャラクターの移動速度がそこまで速くなければ、無理に慣性を発生させる必要はないかもしれません。そのゲームがどのように設計されているのか、じっくり見極める必要があります。
2. キャラクターの「心理描写」の表現
慣性による絶妙なコントロールの難しさは、キャラクターの「はやる気持ち」や「迷い・恐れ」といった心理状態を、プレイヤーの手を通じてダイレクトに伝える表現になり得ます。
サイドスクロールとは、キャラクターが何かしらの目的を持って旅をする姿を、横視点から眺めるゲームです。ゲーム自体が人間性を直接語らずとも、そこには物語があり、プレイヤーはキャラクターに惚れ込み、あるいは自分を重ねてアクションと物語を楽しみます。扱っているキャラクターの本質は「変数と蓄積されたデータ」ですが、ゲームとはそこに「人間性」を宿らせるからです。
【逆の視点】 逆に、冷徹なスパイや、指令に絶対従うロボットなどが主人公の場合、滑らない(慣性がない)方が自然なのかもしれません。自分自身の作った物語と主人公をよく観察し、それに見合った「滑り」を実装することが、ゲーム作りにおいて大きな指標になるはずです。
3. 『コントロール不能をコントロール下に置く』という人間の本能
人間には、自分の完璧なコントロール領域から少し外れたものを、技術で御したときに「気持ちいい」と感じる本能があるはずだ、という仮説です。
車のドリフトはまさにその代表でしょう。実車(FR)のアクセルコントロールやFF車のタックインなどは、タイヤの空転や強烈な前荷重によるグリップの「損失」を利用してコントロールしています。起こる自然現象・物理現象を完璧に予想し、目的のアクションにぴったりハメるという行為は、見ている人を唸らせ、成功した時の快感を増幅させます。 他にも、芝目を読みながら放つパター、風を予想して放つアーチェリーなど、どれも同様の快感を生むものです。 ゲームのちょっとした「滑り」は、ピタッと止まる気持ちよさというよりは、この「コントロール不能をコントロール下に置く快感」を伴うのではないかと思います。
【逆の視点】 逆に、プレイヤーに「予想外のこと」を絶対に起こしてほしくない場合は、滑らない方が正解です。 例えば、シビアなパズル要素があるゲームを想像してください。パズルの解き方を理解したプレイヤーは、100%に近い確率でその場所をクリアできなければなりません。正解を理解した後の「操作ミスによる失敗」は、ゲームの楽しさにとってはノイズでしかないからです。
4. 開発者からプレイヤーへの「止まらないで!」という誘導
「急に止まれないなら、いっそスピードを維持したまま進もう」とプレイヤーに思わせることで、ゲーム全体のテンポを上げ、疾走感を楽しんでもらうための開発者からの暗黙のメッセージ(誘導)ではないかと考えました。
止まらなければ、滑ることはありません。 ここまで滑る挙動を肯定してきましたが、本来「滑る」というのはプレイを難しくする要素であり、「ゲームをクリアする」という目的一点においては、滑らない方が有利です。しかし、だからこそプレイヤーは、滑る環境下で完全に操作をコントロールするためのプロセスとして「止まらずに進み続ける」という選択を取り始めます。
止まらないことにより、画面はスピーディーに流れ、キャラクターは飛行能力がなくても宙を舞い、敵を翻弄しながらゴールにたどり着く。そんなヒロイックなゲームプレイが生まれるのです。
【逆の視点】 もちろんこれも、ゲームの目的が「一歩一歩、丁寧に攻略していくこと」を目指す場合なら、滑らない方がいいと判断できます。プレイヤーに「どういう風にゲームを楽しんでもらいたいのか」こそが、滑りの導入や、その数値を調整する最大の判断材料になります。
当然リスクのある滑りの実装
自分のゲームに「滑り」が合致すると判断したとしても、それを実装するには当然リスクが伴います。 横移動というゲームの根幹システムに手を加えるため、予期せぬバグの温床になりやすいことには細心の注意が必要です。また、不必要に操作難易度を上げてしまい、ゲームバランスを崩す危険性もあります。
しかし、だからこそこの調整はゲーム作りにおける「大きなチャレンジ」であり、一番面白いところでもあります。ベースとなる横移動を実装できた方なら、真摯に悩み、試行錯誤を繰り返すことで、きっとそのゲームにとっての「適正な滑り」を見つけ出せるはずです。
「マリオが滑るから実装する」 「ロックマンが滑らないから実装しない」 「セレステのマドリンが滑り量を抑えているから自分もそうする」
……そんな模倣のゲーム作りでは、決して自分のオリジナル作品にはなりません。仮に結果として同じ数値に落ち着くのだとしても、自分自身の思想を持ってその答えにたどり着くことが何より大切なのです。
そして私の場合
ここからは、私が実際に開発した(そして開発中の)2つのタイトルにおける「滑り」の取捨選択についてお話しします。
『破魔弓師~逆走、百鬼夜行~』の場合
現在制作中の本作において、私はここまでさんざん滑り量について語ってきたにもかかわらず、結論として「プレイヤーが体感できないほどごくわずかな量」しか滑らせていません。
本作は、妖怪退治を任された破魔弓師が、弓矢で敵を素早く倒しながらゴールを目指すゲームです。スピード感のあるゲーム内容的には、本来もっと滑らせても不自然ではありません。しかし私はどうしても「妖怪を怖がるそぶりを一切見せない」というキャラクターの精神性をアクションに反映させたいと考えました。
恐怖にブレない心。それを表現するために「滑らない(慣性に流されない)方がいい」と判断したのです。その結果、走り方も大股ではなく、袴の広がりの範囲内で静かに足を動かす、武道や忍者を意識した凛とした足運びに仕上がりました。
キャラクターの攻撃自体が強力なため、滑り自体がゲームプレイを阻害するリスクは低いと判断しつつも、見た目の自然さと「スクリーンを自分の意志で走り回る快感」を両立させるため、本当にごくわずかな量だけを滑らせる調整に落ち着きました。
- Steamストアページ:『破魔弓師~逆走、百鬼夜行~』
前作『Nice Disc : The Last Hot Blood』の場合
逆に、前作では「一切滑らせない」という選択をしました。 フライングディスクを拾ってぶつけ合う対戦バトルゲームで、非常にスピーディーな展開が特徴の作品です。ゲームのスピード感だけを見れば、むしろ滑らせるべき挙動でした。
しかし、このディスクのぶつけ合いを、単なる「喧嘩」ではなく「お互いの全力をぶつけ合うスポーツ」としてプレイヤーに捉えてほしかったのです。 狭いリングの中を縦横無尽に飛び回るボクサーのように、キビキビとした動きを実現するため、あえて滑りを排除しました(脳内ロジックとしては「その競技に適した極上のシューズを履いているからグリップが効きまくる」という設定です)。
人間ではないものの、感情豊かなキャラクター設計だったため、滑らないことによる硬さは「ダメージを受けた際のアニメーション」などを手厚くすることで補填しました。
- Steamストアページ:『Nice Disc : The Last Hot Blood』
おわりに:理由をつけることでドラマが生まれる
いずれのタイトルも、かなり悩んだ末の「実装」と「未実装」です。 「いい靴を履いているから滑らない」なんて、もしかしたら開発者の言い訳のように聞こえるかもしれません。
しかし、仕様のひとつひとつにそうやって「理由(ロジック)」をつけることで、開発の中にドラマが生まれました。そしてそのドラマは、巡り巡ってゲームの手触りやキャラクターの魅力となり、そのロジックがストーリーの続きを変更させるまでに至りました。
まるで、作り出したキャラクターがゲームの続きを作り始めたかのように。
みなさんのゲームのキャラクターは、なぜ滑るのか、なぜ滑らないのか。 この記事が、あなたのゲームの「手触り」を決める一助になれば幸いです。
